若林靖永会長(京都大学経営管理大学院経営研究センター長)が自らインタビューを行う企画の第6回。今回は、若林会長と同じ職場(京都大学)の飯吉透さん(京都大学教育担当理事補/高等教育研究開発推進センター長・教授)にインタビューを行いました。

飯吉教授は、カーネギー財団上級研究員、同財団知識メディア研究所所長、マサチューセッツ工科大学教育イノベーション・テクノロジー局シニア・ストラテジストなどを歴任してきた、テクノロジーを活用した教育工学の専門家です。新型コロナウイルスのため大学を含む全国の学校が休校を余儀なくされ、多くの教員がオンライン授業の準備に追われる中、テクノロジーと教育の関係、そしてコロナ後の世界における教育の在り方について、大変示唆に富むお話を伺うことができました。

飯吉教授と若林会長は世代が近いこともあり、ビデオ会議サービス「Zoom」上で行われたインタビューは終始リラックスした雰囲気で行われました。 (インタビュー日:2020年4月21日)

(編集: CIEC広報・ウェブ委員会 木村修平)


若林会長(左上)による飯吉教授(右上)へのZoomインタビュー(下:聞き手の木村)


京都大学で初めて出会ったコンピュータ



木村

先生方、本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。



飯吉

よろしくお願いします。若林先生、ご無沙汰しております。CIECと言えば、私は2012年に京都大学で開催された2012PCカンファレンスのシンポジウムに登壇者としてお招きいただきました。京都大学に着任したばかりのころでした。



若林

こちらこそご無沙汰しております。私は2018年度からCIECの会長理事を務めさせていただいております。教育とデジタル・テクノロジーをテーマにご研究を続けてこられた飯吉先生が現在の状況をどのように見ておられるのか、ぜひお話を伺いたいと思い、インタビューをお願いしました。



飯吉

ご指名ありがとうございます。現在の状況について、見ていられるだけならよかったのですが、京都大学の中でオンライン授業をどう進めていくのか、高等教育研究開発推進センターと情報環境機構を中心に様々な組織と連携して走り回っているところです。



若林

大変お忙しくしておられることかと存じます。飯吉先生は一貫してコンピュータ・テクノロジーと教育実践の研究に取り組んでこられました。それはやはりコンピュータという技術革新にワクワクされたご経験があったからだと思うのですが。



飯吉

僕は東京生まれ、東京育ちなんですが、実はちゃんとしたコンピュータというものを初めて目にしたのは京都大学でだったんですよ。



若林

え、そうだったんですか?



飯吉

小学生の高学年のころだったと思います。当時、親戚が京都大学に務めていまして、京都に遊びに来たときに研究所で大型コンピュータのオープンリールの磁気記憶テープがぐるぐる回っているのを初めて見ました。まだマウスもついていない時代のコンピュータでしたね。



若林

懐かしいですね。私が京都大学の学生だったころも、いかにもマシンといった感じのドットインパクトのプリンタが動いていましたね。



飯吉

懐かしいですね(笑)。鉄腕アトムでしか見たことのなかったようなコンピュータが実際に動いているんですから、感激しましたね。それから祖父にマイコンを買ってもらいました。NECのTK-80です。8ビット、4キロバイトというスペックです。



若林

インターネットが登場するはるか以前ですね。



飯吉

そうです。それからは何をするにもコンピュータを使う、という状態でした。音楽をやるにしても映像を編集するにしても。



若林

インターネットとの出会いはいつごろでしたでしょうか?



飯吉

1993年ごろでしたでしょうか、僕は日本の大学院の途中でアメリカの大学院に移籍したんですけれども、当時はまだ入学願書などの書類のやり取りはファックスでしたね。アメリカの大学といえども最低限の情報が掲載されたホームページがあるくらいでした。



木村

まさに黎明期ですね。



飯吉

今日のインタビューはZoomというハイエンドなテクノロジーでお受けしていますが、実はこういう技術の原初的なものは1990年代半ばには存在していました。ジョージア大学でポスドクとして働いていたときだったと思いますが、コーネル大学が開発していたCU-SeeMeというソフトを実験的に使っていましたね。また、今日のLMS (Learning Management System)の原型とも言えるWebCTも当時いくつかの大学で使われ始めていました。



若林

その流れというのは、まさにCIECという団体の歴史と符号します。1980年代にMacintoshが発売され、コンピュータを定型的な仕事以外の創造的な活動に用いるという流れが生まれたと思います。1990年代にコンピュータが普及すると、コンピュータで教育をどう行うのかという課題意識が大学生協のコンピュータ事業部で共有され、実際にコンピュータを用いた教育活動を行う教員が議論する場が生まれました。それが1996年にCIECが生まれた出発点となっています。



飯吉

なるほど。



若林

1990年代後半になりますと、インターネットが普及したことで、いろいろな大学や教育機関の取り組みを情報交換するネットワークが形成されていきました。当時のパソコンやアプリケーション、Webテクノロジーは現在のものと比べるとスペック的には劣るんですが、いろいろな工夫が生まれて面白い試みが国内外でたくさん報告された時期だったと思いますね。

日本の教育のICT化はなぜ遅れたか



飯吉

確かにITの普及に伴い、いろいろな教育実践が行われてきました。ただ、日本ですとそうした実践のほとんどは小中高が中心だったのではないでしょうか?アメリカの大学がIT化を強力に推進した一方で、日本の大学は出遅れてしまいました。大学教育とテクノロジーの関係は日本ではかなりお寒い状況と言わねばならないでしょう。



若林

日本ではそれまでやってきた授業にスライドを入れるだけというように、従来の授業の基本的な部分を変えずにITをちょっと使う。マーケティング的に言えば、4つのP(Product, Price, Place, Promotion)を何も変えず、既存の戦略のままでコンピュータやインターネットを使っているので、本質的には何も変わらなかった。アメリカの大学はもっとコンセプチュアルに考えていると思います。



木村

コンセプチュアルとはどういうことでしょうか?



若林

今やっている教育の概念をITでどう変えていくのかというビジョンやフィロソフィーがあるのかということです。たとえばMIT(マサチューセッツ工科大学)のOCW(Open Course Ware)を考えてみてください。前の前の学生を教えるだけではなく、授業の内容をまるごとオンラインに載せる。その結果、大学教育というコンセプトそのものを変えてしまったんです。



飯吉

MITのOCWが公開されたのは2001年です。使われているテクノロジーは当時としても最先端というわけではありませんし、技術的に目新しいものは特になかった。言ってみれば講義の動画やPDFなどの教材データの集積で、どれも以前からすでにあったものです。ではなぜ大騒ぎになったのかと言えば、4年間で数千万円の学費を支払って受ける教育の授業ビデオや教材を無料で使えるというコペルニクス的転換の衝撃があったわけです。



飯吉

これほど大きな教育イノベーションに取り組むには大義が必要で、MITの場合ですとOCWを通じて教育機会の裾野を広げることが廻り廻って社会とMITのためになるというのがそれにあたります。くわえて一貫性がありました。この考えからブレることなく20年以上事業を継続したのです。その後OCWはアメリカの多くの大学を巻き込んで発展し、MOOC(Massive Open Online Course)に繋がっていきました。



飯吉

日本の教育でテクノロジーの活用が進まなかった大きな理由のひとつは、ある意味では日本がとても恵まれているからとも言えます。全国ほぼどこでも義務教育が受けられ、また、その質が高い。テレビではNHKの教育コンテンツも充実している。こうした恵まれた環境であるがゆえに問題解決のためにテクノロジーが真剣に活用されなかったのだと思います。

オンライン教育への強制移行が意味するもの



若林

おっしゃるとおり、恵まれていたのだと思います。だからこそ教育を行うインフラというレベルにまでICTが浸透しておらず、後進国になってしまった感があります。



飯吉

以前『ウェブで学ぶ―オープンエデュケーションと知の革命』(筑摩書房・2010年刊)という対談本を梅田さんと出したときに話し合ったことですが、日本でもICTの活用が進んでいる分野はある。実際、eコマースやSNSは活発です。私はテクノロジーや教育イノベーションを専門にしていますので、教育ICT化を推進する立場です。周囲の人からは今回の騒動は私の研究にとって追い風ですねと言われることが多いのですが、追い風どころか暴風雨です。教師も生徒も学生も強制的に船に乗り込んで避難しなければならない状況です。



飯吉

たとえ話で言えば、これまで暮らしてきた陸が住めなくなり、海で生活しなければならなくなったようなものです。泳ぎ方や潜り方を知っている人は一部で、大半の人はままならない。教師は生徒よりもまず自分が溺れないようにしないといけない。生徒は教師よりも水に慣れているようだけど、これまで教育以外のプライベートな活動を主にやっていた。過渡期的な水陸両用モードを飛ばしていきなり水中オンリーですから、これは無理があります。



若林

たしかに無理はありますが、やれる人だけがやるというボトムアップ的状況はこれくらいの強制力が働かないと変わらなかったとも言えると思います。オンライン環境というのは、たとえばN高等学校ビジネスブレークスルー大学大学院のような一部の教育機関にとっては文字どおり教育基盤なわけですが、他はそうでもなかった。それが一気に激変しました。オンライン上で教育をどう行うのか、どう質を保証するのか、真剣に考えざるを得ない一種の社会実験的な状況が到来したとも言えるわけです。



飯吉

そのとおりですね。京都大学高等教育研究開発推進センターでも3月26日に授業支援サイト「Teaching Online@京大」を起ち上げ、情報の集約と発信を行っています。どうせ作るならいいサイトを作ろうということで、今回の騒動が収束したあとでも使えるコンテンツを、センターの教員・スタッフで作りました。「オンラインでもできること オンラインだからできること」というキャッチコピーがとても気に入っています。ぜひ多くの先生に参考にしていただいて、事態が収束して水陸両方モードに戻ったとき、オンラインでの教育活動が選択肢のひとつになっていればと思います。


支援サイト「Teaching Online@京大」



若林

オンラインでも出来ること、オンラインだから出来ることを見極める機会ですね。私はこれまで様々なツールを使ってブレンディッド・ラーニングを行ってきましたが、昨今のツールはとても良くできていますから、工夫すればオンラインでもかなり普通に授業ができるんですよね。



若林

ただ、ここには大きな落とし穴があるとも思います。対面で退屈な授業は、オンライン化されるとますます可視化されるということです。目の前に人が存在するというリアルな感覚が集中力の維持にも繋がるわけですが、これは教師にとっても学生にとっても重要な点です。対面授業でつまらない教師の話はオンライン授業でますます聴いてもらえませんし、また、学生の集中力を維持するための工夫も必要になります。



飯吉

そんな授業で自分のカメラをONすることを義務づけられたら学生にとってはまさに拷問でしょうね(笑)。



若林

京都大学の学部1回生を対象とした少人数授業(ILASセミナー)でクリティカル・シンキングについての授業を行っていますが、これは反転授業形式を採っています。京大のSPOC(Small Private Online Couses)「KoALA」の動画教材を事前に見てもらって、教室ではそれに基づいてディスカッションを行う。



若林

授業をオンライン化すると、授業中の活動や学生からのフィードバックがデータとして残りやすいというメリットがあります。誰がどれくらいの頻度でどういった内容を話していたか、どれくらい授業内容を理解しているか、どれくらい集中して取り組んでいるかがデータとしてわかります。こうしたデータは授業が教師の自己満足のための占有物ではないことを思い出させてくれますし、授業改善に役立ちます。

大学の授業の意味が変わる?



飯吉

伝染病の拡大そのものは不幸なことですが、授業のオンライン化、可視化が進むことは、教育の世界が競争に晒されることだとも言えます。これには良い面と悪い面があるでしょうね。同じテーマの授業でも、教え方のうまい先生、下手な先生が存在することが明らかになるわけですから。



若林

インデキシングやショールームという言葉があります。選択科目であれば、1分くらいの動画で各授業の魅力をアピールをするという試みもあってもいいかもしれないですね。それは自学自習を引き出すための工夫とも言えます。



飯吉

多くのMOOCはそういうデザインになっていますね。トレーラーと呼ばれる映画の予告編のような短いダイジェスト動画をつけるのがフォーマット化されています。京都大学の授業をedXでMOOC化するときにもそういう呼び水としての短い動画を作成しています。




若林

最近では学会でも研究成果を動画でアピールする発表が増えてきたように感じています。論文を読むのはハードルが高いので、成果をわかりやすく噛み砕いて動画にして配信することで広く社会にアピールする。



飯吉

私は日本に帰ってくる直前にMITにいましたが、そこで鮮明に記憶に残っているのは、複数の教師が自分たちの授業の宣伝ポスターを作って学内あちこちの学生の集まる場所に貼っていた姿です。自分の授業を宣伝するという教師たちの熱意には打たれましたね。日本では大学の先生方は一国一城の主で外部の評価にさらされる機会がこれまで乏しかったわけですが、授業のオンライン化でそうも言ってられなくなるかもしれません。

コロナ禍とオープンエデュケーション



飯吉

若林先生にぜひ私からお尋ねしたいと思います。先生からご覧になって、オンライン上の教育リソースやオープンエデュケーションのビジネス的な可能性をどうお考えでしょうか?



若林

サステイナブルなビジネスを考える上で本質的に重要なのは、ヒトとカネがどこから来るのかということです。どんなビジネスでもヒトとカネというリソースが継続的に存在しないと持続できません。たとえば誰もが利用できるオープンエデュケーションという素晴らしい理念がある。この理念に共鳴してノーベル賞受賞者のような優秀なヒトが集まってくる。問題はカネです。パブリックなものにカネを出すことが大切なんだという価値観が共有されることが大切だと思います。他にも、全国の小中学生に1 人1台で情報端末を整備するGIGAスクール構想も公共性が高いプロジェクトですが、教育現場のICT化が必要不可欠という公共性の高い社会的な課題意識が成立の背景にあると思います。



若林

また、カネの話で言えば、高い公共性を保つためにも財源の独立性も重要でしょうね。近年ではMOOCの中でも受講証明書や単位認定が行われるものは有料になっていますが、必ずしも悪いことだとは思いません。一方で奨学金を充実させるなどバランスをとる方法はあり得ると思います。



飯吉

大学の社会的責任、いわゆるUSR(University Social Responsibility)を果たしつつビジネスとどう両立していくかということは日本の大学にとっても重要な課題と言えるでしょうね。



若林

私個人としては、今回のコロナ禍が3つの契機になることを期待しています。ひとつは教師と学生にとっての授業改善の契機、次に日本の大学全体の教育改善の契機、最後にオープンエデュケーションに対する社会の理解が進む契機になればと思っています。



飯吉

さらに言えば、大学教育のオンライン化、オープン化が本格的に進むことで、大学間の単位互換のスキームを拡大できる可能性があると思います。大学コンソーシアム京都のような取り組みがオンライン授業にも広がれば、全国規模で教育を相互補完しあうこともできると思います。



若林

こういう話は、経営者的目線からは合理化という話になるんですが、教育者としてはあくまでも教育の質の改善と学習の保障の手段として考えたいですね。単位互換もそうですが、オンライン教育を既存の教育システムの中にどう位置づけるかが今後の課題になるでしょう。



飯吉

私はテレワークという体験に注目しています。英語で「tele-」は「遠距離」を意味します。物理的に離れた場所で教え、学ぶという教育テレワーク環境を急ピッチで整備しなければならないという今回の体験は、私たちの教育の考えを不可逆的に変化させるでしょう。それは同時に、これまでも色々な理由で学校に通えず、教育を受けられなかった人たちがこの社会にいたことを私たちに再認識させ、そういう人たちに十分な教育機会を提供してきたかどうかを自問し反省する機会になると思います。



若林

それは生涯学習、リカレント教育という観点からも意味のあることでしょうね。これからは「学び続けること」が求められる時代が来ると半ばテンプレート的に言われますが、私たちの社会が生涯にわたって学習機会を提供できるかどうか、それがオープンエデュケーションの持つ新たな意味になるでしょう。



飯吉

コロナ禍が収束した後の世界の教育がどのようなものになるのかは、今を生きている私たち次第とも言えますね。いまは現実的な問題が山積みなのでリアリスト(現実主義者)になるべき時期ですが、次の社会ステージのビジョンを描くイマジネーションも大事にしたいと思います。



若林

世界中が同じ困難に直面しているという点では世界大戦に匹敵する体験です。これまでの常識、価値観が確実に変わる。その変化をただ傍観するだけなのか、自らの意思で働きかけるのか、大きな違いがありますね。



飯吉

オンライン教育も「やらされてる感」ではなく「やってみるか感 」を大事にしたいですね(笑)。これは教員だけでなく学生についても言えます。お客様気分でサービスを受けるだけでなく、自分は大学教育に対して何ができるかを考えて提言してほしいです。主体的、当事者的な一歩を踏み出す大きなチャンスです。



若林

東日本大震災の時を思い出します。あの困難な状況でも学び続けた若者たちがいて、現在の社会をかたちづくっています。いまの学生にとってこのコロナ禍は間違いなく人生を左右する大きな体験でしょう。ですが、いま学ぶことが10年後の社会を作るのです。私たち教員はそのためのバトンを若者にしっかり繋いでいかなければいけませんね。本日はお忙しいなか貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。