総合司会: 宿久洋 CIEC副会長(同志社大学 教授)


CIECは1996年に誕生し、今年20周年を迎えました。20年の歩みを総括し、学会・教育界に果たした貢献を整理するとともに、次の10年への方向性を検討し、問題提起と課題設定を行うことを目的に、2016年3月27日(日)に20周年記念シンポジウムを開催しました。


※ Special第4回は、CIEC20周年記念シンポジウムのダイジェストを、4号に分けてお送りします。今回はその4として、シンポジウム3人目のパネリストとして登壇した、熊坂賢次・CIEC会長によるポジション・トークの様子をお伝えします。



シンポジウム「教育と学びにおける創造性と多様性」



妹尾

山内先生、どうもありがとうございました。次々に刺激的なお話が続きますね。それでは3人目、最年長の熊坂先生にご登壇いただきたいと思います。


熊坂賢次 CIEC会長 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)


さきほど鈴木寛さんがSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)を褒めてくれたんですけど、僕はSFCもぜんぜんダメだなと思うことがありました。Appleからアップルウォッチが出ましたね。こういうのが好きな学生の多くはすぐ飛びついた。

ところがこれに対して僕のいるSFCが何をしたかっていうと、アップルウォッチを試験のときに持って来られたら、みんなカンニングしちゃうかもしれないから困るといって、試験時の時計はすべて持込不可にしたんですね。いちおう各部屋には大きな時計があるので、それを見て「あと何分」と確認するように、ということをやった。


熊坂賢次 CIEC会長 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)

この決定があったとき、僕は「何考えてんだ。ろくでもねえキャンパスだな」って思ったね。SFCは本来、こんなことをやっちゃいけない。だって、インターネットで最先端を走っていることを自負しているんだから。

答えなんてカンニングするもんですよ。見せあって何ぼです(会場笑い)。見せあって何ぼで、みんなが100点採ったときに「ああ、よかった」って、教育は本来そういうもんじゃないですか? テストで生徒ができないことを確かめて喜ぶのは教師だけですよ。生徒がみんなできちゃうと、自分ももっと勉強しなくちゃいけなくなるから。でも本来、教育っていうのは、みんなが100点採れて喜ぶ、そういうものじゃないですか?


20世紀的な社会システムの基本


さて、僕は一応社会システム論者ですので、社会をシステムとして見ていきたいと思います。20世紀的な社会システムは基本的に二つのシステムとして捉えることができます。

一つは、「目的-手段」系の利害システム。自分には自分の目的があります。それは欲求と言い換えられます。個人は欲求を満たすために、他者をいかに手段として使うか。その関係性によって形づくられるのが利害システムです。マーケットの市場原理なんか、まさにその典型ですね。

もう一つは「全体-部分」系の役割システム。この全体-部分系というのは、主体を超えたところに「価値」があります。その価値を実現するために、主体には役割期待が付与されてくる。つまり、個人は全体に対して奉仕しなくちゃいけない、それが役割システムです。

基本的に今まで、受験システムは前者で、教育システムは後者でした。前者ではライバルを蹴落とさなきゃいけなかったし、後者では教師は教師らしく、学生は学生らしく振る舞うことが期待されてきました。

以上が日本が近代化を達成したときの基本的なシステムなんですけれども、当然、現代は当時とは違う社会になっているから、新たな社会システムというものを考えてみたいと思います。


熊坂賢次 CIEC会長 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)


脱利害システムとしての「信頼化」


二つの基本システムを紹介しましたが、それらを移行類型として捉える場合に、二つのルートがあります。

一つ目は、始めはお互いに欲求という自分のゴールを持って他者を手段として使うんだけれども、他者を利用しているうちに「あいつ、いいやつだな」と思って、自分の持ってるものを少し見せたりあげたりすることによって、相手との関係をより良くしていくようなケース。

人間同士、初めて出会ったときは役割自体つくられていませんから、利害システムから人間関係が始まるんですね。自分の欲求を達成するために他者をどう利用するかという関係。そして最終的には、自分たちのゴールが共有され、役割システムに至るという場合です。

そのとき必要なのは、他者をどう信頼するかというシステムです。最初は自分の目的のために他者を利用するんだけれども、そのうちに何となく自分たちで共有された価値というものが出てくる。その共有した価値のために、お互いの関係を調整して、より良い方向に向かわせようとするようなシステム、これを信頼化のシステムと呼びたいと思います。

これはどういうことかを恋愛に例えて説明すると、初めて知り合った段階では「僕と君は」としか言いませんが、2人の関係が少しずつ良くなってくると、「僕たち」「私たち」という言葉を使うようになる。つまり“We”という概念。IとYouでしかなかったものがWeとなる。この概念が生まれた瞬間が信頼化です。


熊坂賢次 CIEC会長 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)


脱役割システムとしての「自由化」


もう一つのルートは、役割システムから上位の価値が欠落してくる場合。

役割システムというのはいわば“お芝居”の世界なんだけれども、共有する価値がなくなったとしたらどうですか? お芝居の中で“アドリブ”というものがありますね。芝居として大枠は決まってるんだけれども、そこで役者たちがアドリブをすることによって、お芝居自体をより活性化させる場合がある。

現代は社会で共有する価値というものが複雑化、不透明化している状況です。この不安定さの中で、われわれは何となく“らしさ”の振る舞いをしなくちゃいけないんだけども、「でもな」という形でアドリブを利かせ始める状況、これを自由化のシステムと呼びたいと思います。

つまり、これまでの安定した20世紀的な「利害システム」と「役割システム」の中間系として、「信頼化」と「自由化」という中間系が存在しているのが現代です。


従来型社会システムを越えた制度設計を


以上を基にして、ネットワークの社会について考えてみたいと思います。

僕たちがインターネットに繋がったときの社会システムとして、この新たな2つの「信頼化」と「自由化」がものすごく重要だと考えています。つまり、決まり切った利害関係の市場原理の話とか、決まり切った役割期待のお芝居の世界には創造性がない。決まり切った状況ではパターンを学習すればいい。覚えればいい。そして合理的に成果を上げればいい。

不透明な現代社会では、成果がどうなるか分からない状況で“ふにゃふにゃ”している。だから、その“ふにゃふにゃ”しているシステムを、制度として、しっかり社会システムに入れ込むということが必要になる。

教育についても同様です。試験で勝つか負けるかということを強要してきたのが「利害システム」で、先生はより多くの知識を持っていて、知識が足りない生徒たちに伝授するというのが「役割システム」。この形に戻るような制度設計をしているような教育は根本的に間違っている。これら既存の仕組みを越える社会設計、制度設計をしなくちゃいけない時期に来ていると思います。


「信頼化」「自由化」を前提とした社会システムをどうつくるか


最初のアップルウォッチの話で、カンニングするから試験には持込禁止という話をしました。みんなインターネットに繋がった状況を前提として試験を実施したら、利害システムを超えた新しい出題形式が生れてくるかもしれない。教師は偉くて教える存在だという縛りを取っ払えば、学生から教師が学ぶこともあり、一緒に協働するんだという新たな関係性が生れてくるかもしれない。

そういった新しい状況や関係性を前提とした制度設計ができないと、絶対に次の社会には行かないと思うんだけれども、今のところあまりにも20世紀の成功体験が強すぎるから、いつまでたっても脱皮できない。「信頼化」「自由化」を前提とした社会システムをどうつくるか、特に教育の世界を。

パターンランゲージの話も重要だし、山内先生の話も重要。でも、その制度設計において、新たな社会システムを念頭に、どっちのシステムを重視するかという合意がされていなきゃいけないと思うんですね。子供の能力、生徒の能力、光る才能を伸ばすためには、これまで当たり前だったいくつかの約束は、もう捨てなきゃいけない時期に来ている。というのが僕の意見だということで、一応終わりにします。



妹尾

熊坂先生、ありがとうございました。20周年のシンポジウムにふさわしい、三つの爆弾が炸裂いたしました。それぞれの爆弾を持って再登場していただこうと思うんですが、皆さんも頭を整理する時間がいると思いますので、ちょっと休憩の時間を取りたいと思います。


※ 以上でCIEC20周年記念シンポジウムの速報を終わります。その後のパネリスト三氏によるディスカッションの様子などは、会誌『コンピュータ&エデュケーション』Vol.41に掲載予定です。お楽しみに!


シンポジウムのディスカッションでは、フロアから活発な質問も飛び交った。